物体へ働きかけた応答を見ている
— ひろき@未熟なリバタリアンがAIソクラテスと思考実験してみた (@bluesbookblog) June 30, 2025
五感の測定結果を古典物理学が説明できていたが
測定技術の向上で理論と現実が合わないため、自然界を表現する言葉を更新する
腑に落ちるまで正しい経験を積む
直感が働くには土台の回路が必要、回路を作るには正しい方向に経験を積み重ねるhttps://t.co/tRMvF3QFWn
不確定性は平均からのズレ具合である
— ひろき@未熟なリバタリアンがAIソクラテスと思考実験してみた (@bluesbookblog) June 30, 2025
位置や速度も正確に言えば、測定された位置や速度で測定の産物だが
量子は位置と速度が決まっておらず、軌跡の確定値がなくてバラツキがあり、分布情報だけ含まれる
不確定性の世界だと量子の位置と測定された量子の位置は違う概念になるhttps://t.co/tRMvF3QFWn
AIと思考実験してみた
Q1: 自然界を表現する言葉が更新されるのはなぜ?
自然界を表現する言葉が更新されるのは、測定技術の進化によって古典物理学では説明できない現象が次々に明らかになってきたからです。たとえば、五感で捉えた世界は古典力学で十分に説明できていたのに、より精密な計測をすると予測と現実にズレが生まれます。量子力学ではそのズレの正体を「不確定性」として捉え、平均値からのばらつきでしか語れない世界観が登場しました。たとえば、粒子の位置や速度は測定の産物であり、観測前には確定していないという前提が生まれました。私はこのような変化が、「世界をどう表現するか」という言語の更新に直結していると感じています。
Q2: 量子の位置と測定された位置はどう違う?
量子の位置と測定された位置が違うというのは、量子力学の根本にある「不確定性原理」が関係しています。私たちは通常、位置や速度は常に存在すると思いがちですが、量子の世界では観測前の粒子は波としての性質を持っており、あくまで「分布」でしか存在しません。測定という行為によって初めて「位置」が確定するのです。この考え方は、「観測によって現実が生まれる」という非常に興味深い視点を提供してくれます。私はこの違いを知ったとき、物理の根本的な捉え方が大きく変わったと感じました。
Q3: 粒子と波の二重性にどんな意味がある?
粒子と波の二重性が示すのは、物質が一義的な姿を持たないという、非常に哲学的な性質です。かつては「どちらかだ」と考えられていましたが、今は「どちらも持つ」と考えられるようになり、それが物理理論の柔軟さに大きく影響しています。私はこの二重性に、東洋思想の「両義的な見方」が通じると感じました。仏教的な発想では、物事を「善悪」「正誤」と二分するのではなく、並存させる視点があります。こうした見方が、量子論の不確定性や重ね合わせ状態と非常に親和性があるように思います。
Q4: 東洋思想が量子論と親和性があるのはなぜ?
東洋思想、特に仏教に見られる「寛容さ」や「両立の思想」は、量子論の不確定性や重ね合わせと非常に近い発想を持っていると思います。西洋哲学はアリストテレス以降、理性によって世界を明快に分類し、正誤を明確にする傾向がありますが、東洋思想はもっと曖昧さを許容します。私が面白いと感じるのは、この東洋的な発想が、今や物理学の最先端で求められているという点です。「そういう考え方もあるよね」と受け入れる態度が、観測によって世界が変わるという量子論的な見方ととてもよく似ていると思います。
Q5: 東洋的な寛容性が科学に与える影響は?
東洋的な寛容性が科学に与える最大の影響は、「世界の解釈の多様性を許す」という点だと思います。私たちは人間の感覚を通して世界を見ていますが、それは「世界そのもの」ではなく「認識された世界」にすぎません。この限界を自覚すると、自分の視点だけではなく、他者や他の生物がどう世界を見ているのかに目を向ける必要が出てきます。ユクスキュルの「環世界」の概念のように、多様な認識の重なりが世界の本質に近づくヒントになると私は考えます。
Q6: 他者の世界の見え方を理解するには?
他者や他の生物の世界の見え方を理解するには、まず自分で実際に行動し、経験を積み重ねることが大切です。私は「腑に落ちる」まで繰り返し体験することで、初めて他者の感覚に近づけると思っています。直感を働かせるには、その土台となる経験の回路が必要であり、それは数値化や言語化を通じて検証と修正を繰り返すことによって鍛えられます。こうした反復的な学びこそが、他者との共感や新たな視点の獲得につながると信じています。
Q7: 正しい方向に経験を積むとは?
正しい方向に経験を積むとは、世界の本質をできる限り正確に捉えるための感覚や思考を育てていくことだと私は思います。人類の科学はまさにその営みであり、観察や理論化によって世界の仕組みを明らかにしようとしてきました。しかし、言葉や数式という枠に収まらない現象も多く、その限界を感じることもあります。だからこそ、直感や暗黙知のような「言葉にならない理解」も重視されるべきであり、それを鍛えるには、現実に向き合いながら経験を深めるしかないと思います。
Q8: 数式だけでは到達できない真実とは?
数式は非常に強力なツールですが、それだけでは届かない真実があると私は感じています。たとえば量子力学のような領域では、物理学者が直感的に「こうだ」と感じたことから理論が始まり、後から数学がそれを裏づけるような展開も増えてきています。こうした流れは物理学だけでなく、社会科学など他の分野にも波及していくと思います。言語や記号に縛られない直感や芸術的な発想が、今後ますます重要になるというのは、時代の変化を示す兆しではないでしょうか。
Q9: 直感のセンスはどう育てる?
直感のセンスを育てるには、まず子どもの頃から五感を最大限に使う環境を整えることが大切だと私は考えます。自然と触れ合い、視覚・聴覚・触覚などの感覚器官を鍛えることが、感性の土台を作ります。幼少期に協調性よりも感覚の自由な発達を重視し、小学校以降は自分の興味に基づいて行動することで、直感と現実のズレを少しずつ修正していく。このような経験の積み重ねが、自分の中の「センサー」を鍛えるきっかけになると思います。
Q10: 大人になってもセンスは育てられる?
大人になってからでもセンスは育て直せると私は思います。それにはまず、自分の感覚を信じて行動してみることが必要です。そして行動した結果を言語化・定量化し、他者と共有することでフィードバックを得る。この繰り返しによって、直感と現実のズレが修正されていき、次第に精度が高まっていきます。読書や芸術、自然体験なども重要で、意識的に感覚を研ぎ澄ませる時間を持つことで、感性や直感は年齢を問わず育つと私は実感しています。
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