ソクラテスやプラトン、アリストテレスなど哲学者が知恵を民主化した
— 未熟なリバタリアンがAIソクラテスと思考実験してみた (@bluesbookblog) July 27, 2025
コペルニクスやガリレオ、ケプラーなど科学者が人類を脇役にした
スミスやリカード、マルクスなど経済学者が経済成長と公平性を両立するモデルを考えた
現代はエネルギー・お金・労働のアップデートがいるhttps://t.co/DcvoGVkGmM
AIと思考実験してみた
Q1: 労働の意味が変わる中で、人は何を軸に生きるべきか?
私はこれからの社会では、自分の根源的な好きなことや、内発的な動機を軸に生きるのが自然だと思っています。理由は、AIやロボットの進化によって労働の意味が大きく変わってきており、「働くこと=社会的役割を果たすこと」という構図が薄れているからです。たとえば、内向的な人は本や映画といったコンテンツを通じて、誰にも見せなくても深く満足できるし、外向的な人は人との関わり合いの中で自己肯定感を得ることができると思います。そうやって、それぞれが自分に合った軸で生きることで、労働から解放されても生きがいを持てる社会に近づくはずです。
Q2: 労働を失った後の「社会的貢献」は何に置き換わる?
そもそも社会貢献という発想自体が、「役に立っているという感覚」があったほうが生きやすいから生まれたもので、絶対的に必要なものではないと私は思います。人間は地球上でのエネルギー循環の一部に過ぎず、生殖や承認欲求すら進化の過程で生まれた手段です。たとえば、SNSでの承認も、生存の最適化の副産物とも言えるし、それに疲れるなら無理に社会貢献を求めなくてもいい。静かに好きなことに没頭しているだけで満足できるなら、それこそが意味であり、幸福だと思います。つまり、「社会的貢献をすることが正しい」という思い込み自体が、これからの時代にはアップデートされるべき価値観なのかもしれません。
Q3: 労働が役割だった時代、今後はどう変わる?
労働が「人間が社会に必要とされている」という実感の源だった時代から、私たちは徐々に「好きなことをすること」が意味を持つ時代へと移っていると思います。背景には、AIやロボットの台頭によって、単純労働の多くが自動化されつつあるという変化があります。たとえば、子どもたちはもう「労働がなければ生きられない」という前提がないAIネイティブ世代として育っていて、自分の好きなことを軸に生きていく方が自然です。一方で、今の大人たちは「働くことで役立っている」と感じていた時代に育ったため、価値観の転換には戸惑いがあるのかもしれません。だからこそ、時代に合った柔軟な考え方へのアップデートが求められていると感じます。
Q4: 内向型と外向型、現代社会はどちらに偏っている?
現代社会は見た目には外向型に偏っているように感じますが、実は内向型が過ごしやすい面も多くあると思っています。SNSなどで目立つ人は外向型が多いですが、社会全体では外向型と内向型は半々くらいだと私は考えています。たとえば、内向型の人は図書館で本を読んだり、静かに自分の趣味に没頭したりして幸せを感じることが多く、目立たないけれど充実した毎日を送っています。逆に、外向型の人の方が「目立ちたい」「認められたい」という欲求が強いため、SNSなどで比較されやすく、かえって生きづらい場面もあると感じます。つまり、見た目の印象と実際の生きやすさにはギャップがあるということです。
Q5: 内向型が自然体で生きられるには何が必要?
内向型の人がすでに自然体で生きられている場面も多いと思います。なぜなら、好きな本を読んだり静かに暮らすこと自体に幸福を感じる人が多く、実際にそういう生活は現代の技術と制度によって実現可能になっているからです。たとえば、図書館を活用すればお金をかけずに知識を得られるし、必要な食料や生活インフラのコストもどんどん下がっています。内向型の人にとっては、社会に向けて発信したり目立ったりすることよりも、自分の好奇心や興味に正直に生きるほうが心地いい。そして現代社会は、実はそういう生き方がしやすくなってきているのです。
Q6: 成功=目立つ、という価値観はなぜ残る?
「成功=目立つこと」という価値観は、SNSの仕組みが作り出した幻影だと思います。私自身も、将棋を楽しんだり、本を読んだりと、誰にも見せずに満たされている時間のほうがずっと多いです。内向的な人たちはそういう幸福を発信しないから、目立たず社会に溶け込んでいます。その一方で、外向的な人が頻繁に発信するため、表面的には「目立つこと=成功」のように見えてしまうんです。でも、比較を通じて得た承認欲求は不安定で、むしろ苦しみを生むことも多い。だからこの価値観が根強いというより、「そう見える構造」があるだけで、実際にはもっと多様な幸せの形が存在していると思います。
Q7: 目立たない幸福をどう可視化できる?
目立たないけれど確かな幸福を可視化するには、無理に目立とうとするのではなく、静かな暮らしや内向的な楽しみを記録として残すことが有効だと思います。たとえば、読んだ本の感想を自分だけのブログにまとめたり、日記や非公開ノートに感じたことを書くだけでも、その人なりの幸福のかたちが浮かび上がってきます。また、似た価値観を持つ人同士が小さな場でゆるくつながることでも、承認や共感が生まれます。私はそういう小さなつながりの積み重ねが、多様な幸福を可視化し、偏った成功像から人を解放していく手がかりになると感じています。
Q8: なぜ外向型が目立ちやすくなるのか?
外向型の人が目立ちやすいのは、発信の量と頻度が圧倒的に多いからだと思います。たとえば、SNSで「今日のランチ」や「イベント参加」を投稿するのは外向型の人が多く、それによってアルゴリズムにも乗りやすくなり、さらに拡散されやすい。でもそれは、あくまで「目に見える」情報が増えているというだけで、社会全体が外向型に偏っているというわけではありません。むしろ内向型の人たちは目立たずとも幸せに暮らしていることが多いのに、それが見えないだけ。だから、私たちが目にする「社会の姿」は、ある意味で偏った投影に過ぎないのかもしれません。
Q9: なぜ現代は「内向型が得している」と感じるのか?
私は現代社会では、実は内向型の人の方が得している面があると感じています。理由は、生活のコストが下がり、自分の好きなことを低コストで追求できるからです。たとえば、本を読むことは図書館を使えばお金がかかりませんし、ネットで情報を得ることも可能です。また、目立たずに暮らしていれば他人と比較する機会も少なく、自己肯定感が揺らぎにくい。逆に、外向型の人はSNSなどでの承認を求めるあまり、比較の罠に陥りやすくなってしまう。そう考えると、社会全体としては内向型にとってかなり優しい設計になってきていると私は思っています。
Q10: 社会のルールは誰がどう作っている?
私は、社会のルールや制度は外向型の人が作っているというよりも、外向型の人が目立ちやすいだけで、設計に関わっているのは実は内向型の人も多いと思っています。たとえば、法律や制度、プラットフォームを作る仕事は論理的思考や集中力が求められるため、内向型の人が向いている場合も多い。それでも、SNSやメディアでよく見かけるのは外向型の活動家やインフルエンサーなので、「ルールを作っているのも外向型」という誤解が生まれやすい。だから私は、見えている姿と実際の役割にはギャップがあると考えています。
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