本は人と情報を繋ぐ記録媒体だったが
— ひろき@AIと思考実験してみた (@bluesbookblog) June 24, 2025
現代では人が本になって場を作っている
ソクラテスは尊い知識を生きた人間の頭脳から死んだ獣の皮の上に移すのが嫌で書かなかった
レオナルドは知識を固定化する印刷より手書き文字にこだわり、活版印刷で広めやすいように鏡文字だったhttps://t.co/1KmCbqCV3i
AIと思考実験してみた

Q1: なぜ本より人が情報の媒介になる時代なのか
本はかつて情報を記録し人に届ける装置だったけど、今はSNSやYouTubeなどを通じて、人そのものが情報を媒介する存在になっていると思うんです。なぜなら今の社会では、考え方や経験をリアルタイムで発信することが当たり前になっていて、それ自体が一つの「場」を作る力を持っているからです。たとえばX(旧Twitter)で日々の気づきを発信する人たちは、書籍のような構造を持たずとも多くの人に影響を与えています。だからこそ、「人が本になる」という感覚が生まれているんだと思います。
Q2: ソクラテスとレオナルドの記録への違和感は現代とつながる?
ソクラテスが「知を死んだ皮に書き写すのは嫌だ」と語った話や、レオナルド・ダ・ヴィンチが印刷より手書き文字にこだわったエピソードは、情報を固定し浅く伝えることへの違和感を表していると感じます。現代でもSNSで流れてくる浅い情報に疲れを感じることが多く、それは彼らの抱いていた懸念と地続きだと思うんです。たとえば、レオナルドの鏡文字の手稿は、自分の思考の中で咀嚼された痕跡で、単なる記録とは違います。今のポッドキャストやSNSも、本来は深い対話の道具になれるはずですが、それが浅くなることを彼らは先に懸念していた気がします。
Q3: 浅い情報が社会に与える影響は何か
私たちが何の意識もなく浅い情報を発信し続けると、社会全体の集中力や思考力が削がれてしまうと感じています。なぜなら、情報量が多くなっても質が伴わなければ、どれも心に残らず消費されていくだけだからです。たとえば、SNSのタイムラインで流し読みしたニュースや意見は、記憶にも残らないし、深い議論にもつながりません。だからこそ私は、自分が発信するものにもっと自覚的にならないといけないと思っていて、情報の密度や本質にこだわる発信こそが価値あるものになると信じています。
Q4: 対話・本・ネットの価値に違いはあるか
現代においても、私は対話が一番価値ある知の伝達方法だと思います。なぜなら対話はその場の即興性と身体性をともなっていて、単なる情報のやりとりではなく、理解の変化を生むからです。次に本があり、それは考え抜かれた文章が体系的に記録されている点で深さがあります。最後にネットですが、ここは即時性や拡散性に優れる反面、浅さや断片性がつきまとう。ソクラテスが書くことを避け、会話を重視したのも、こうした深さと即興性に価値を置いていたからだと思います。
Q5: 対話の質を高めるために必要な力は何か
対話の質を上げるには「教養」が不可欠だと思います。教養というのは、ただ知識があるというよりも、一つのことを多様な視点から捉えられる力です。なぜなら視点が多ければ多いほど、相手の意見に対して柔軟に応答できるし、対話が深くなっていくからです。たとえば、NVIDIAのCEOジェンスン・ファンがホワイトボードを使った即興的な会議を大切にしているのは、社員の教養を試し、即座に思考を展開する力を見ているからです。そういったリアルタイムの思考力が対話には重要だと感じます。
Q6: 教養を身体で掴むにはどうすればいい?
教養は頭だけでなく、身体を通して掴むものだと思っています。なぜなら、複数の感覚を使った体験の方が、記憶に強く残り、知識として定着するからです。たとえば旅に出て、自分の足で土地を歩き、人と話し、匂いや音を感じることで、地理の知識や文化の理解が圧倒的に深まります。逆に、旅のYouTubeを見るだけではその情報は一過性で終わってしまう。だから私は、実際にゲームをプレイしたり、現地を訪れるなど、体験を通じて学ぶ姿勢を日常的に意識するようにしています。
Q7: 直接体験しなくても教養は得られる?
直接体験が一番だけど、間接的な体験からも教養は得られると思います。ただし、それには「自分の問いを持っていること」が大事です。なぜなら、問いがあることで、読書や映画の中の情報が自分の記憶や感覚とつながり、深く意味づけられるからです。たとえば私は、映画を観ながら「これは自分の悩みとどう重なるか?」と考えるようにしています。そうすると、その物語の一場面が自分の記憶の中にある体験と結びつき、教養として身体に残っていくのを感じます。
Q8: どうすれば日常で問いを立て続けられる?
問いを持ち続けるには、日々の生活の中で違和感を放置せず立ち止まることが必要だと思います。なぜなら問いは、何かしらの不一致や腑に落ちなさから生まれるもので、それをスルーせず言語化してみることで初めて育つからです。たとえばSNSを見ていて「なんかこれ違和感あるな」と感じたとき、それを一行メモにしておく。それだけでも、自分が何を大事にしているのかが見えてきて、問いとして意識化できるようになります。私はそのメモをあとで本を読むときや人と話すときに使うようにしています。
Q9: 情報に流される時代にどうやって立ち止まる?
今の時代は情報のスピードが速すぎて、自分の問いや感覚を見失いやすいと思います。だからこそ私は意識的に「立ち止まる時間」を作るようにしています。たとえば、スマホを置いて散歩したり、日記を書いたりすることで、思考が一度ゼロに戻る時間が必要なんです。その中で、自分がどんな問いを抱えていたのかを思い出す。そうすると、また新しい知識や経験を得たときに、それがどんな意味を持つのかが自然と見えてくる。これは情報の波に流されないための大事な習慣だと思っています。
Q10: 教養を記号として設置するとはどういうこと?
教養を「記号として設置する」というのは、自分の中に記憶のフックを作ることだと考えています。つまり、ただ知識を蓄えるだけじゃなくて、それを「どこで何を感じたか」という体験とセットで記録しておくことです。たとえば私はある映画のシーンを見て、「これは以前読んだ本とつながるな」と思った瞬間に、ノートにその共通点をメモします。そうすることで、自分の中にその知識が「記号」として残り、別の場面で再活用できる。こうした意識的な記録が、教養を本当に身につける鍵だと思います。
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