空間解像度は劣るが
— ひろき@未熟なリバタリアンがAIソクラテスと思考実験してみた (@bluesbookblog) July 1, 2025
視覚情報処理速度はヒトの5倍ある
ヒトの平衡や時間も含む全感覚を備え、磁気コンパスも持つ
光波の振動方向の偏光パターン、記憶した目印の勘定で空間定位している
移動距離を計算できるが
視覚情報がなければ経路統合し、新たな餌場から帰巣できないhttps://t.co/m97nWUBiAK
三畳紀、植物に卵を産む膜翅目が現れた
— ひろき@未熟なリバタリアンがAIソクラテスと思考実験してみた (@bluesbookblog) July 1, 2025
ジュラ紀、高タンパクな動物に卵を産み、捕食寄生するカリバチが空間定位と記憶力を得た
白亜紀、卵を保護して幼虫を育てる巣穴を掘り、花粉食のアナバチが現れた
ダンス言語は熱帯で花資源を得る適応で生じ、住居を覚える昆虫になったhttps://t.co/m97nWUBiAK
高度な視覚認識は動的スキャンがいるが
— ひろき@未熟なリバタリアンがAIソクラテスと思考実験してみた (@bluesbookblog) July 1, 2025
花の色と砂糖水報酬を記憶する色彩学習、パターン認識や概念学習もできる
間違いにコストがなければ速さ、ペナルティがあれば正確さを優先する個体差もある
学習速度と採蜜量に差があるが
遅い個体はエネルギーコストが低く長寿になるhttps://t.co/m97nWUBiAK
AIと思考実験してみた

Q1: ハチの視覚能力は意識の定義に関係ある?
ハチのように高い視覚処理能力や偏光感知を持つ生物が空間を把握できるという事実は、意識とは何かを考えるうえで重要だと思いました。というのも、AIやロボットがいくら頭で処理しても、五感のような身体的な感覚器官がなければ、世界を「感じる」こと自体が難しいと感じるからです。私が読んだ『ハチは心をもっている』では、ハチが光の波の振動方向を認識して空間を理解しているとありましたが、これは単に情報処理しているのではなく、身体で世界を「経験」しているように見えます。だからこそ、生物が持つ身体性そのものが、意識の前提条件になっているのではないかと感じました。
Q2: 環世界が違えば、人の世界理解も限界がある?
私たち人間が見ている世界は、実際の「世界そのもの」ではなく、自分たちの感覚を通して構築された認識の世界にすぎないと思います。だからこそ、他の生物の感覚がどんな世界を作っているのかを想像することが面白くて、そこに人間中心主義の限界を感じます。VRやARなどの技術が発展すれば、人が持たない感覚を疑似体験できるようになるかもしれません。そうなれば、人間の理解の範囲は今よりもずっと広がり、環世界の違いからくる多様な認知スタイルをもっと深く理解できるようになるはずです。
Q3: 他者の環世界を体験できると現実の定義は変わる?
他の生物やAIの環世界を疑似体験できるようになると、「現実」という言葉の意味が変わってくると思います。たとえば、ネット空間やSNSで起きた出来事が、リアルな選挙や社会現象に影響を与える現代では、フィクションと現実が相互に作用し合う状況がすでに存在しています。つまり、現実と虚構の境界はますます曖昧になっていて、人が肉体を持って生きている空間だけが「リアル」とは限らなくなっている。だから、リアルとは単なる物理的空間ではなく、人が影響を受けている「体験の総体」なのかもしれないと感じました。
Q4: 想像空間が等価になると存在とは何か?
私にとって「存在する」とは、物理的な肉体を持ち、命を維持しながら現実空間で動ける状態を指します。でも、デジタル上では違います。思考や記憶が保存され、再現性がある状態もまた「存在」になりえると思うんです。たとえば、私がこうして自分の考えを記録しておけば、それを家族や友人、あるいはAIが読み取って、「こんなことを言いそう」と再現することができる。現にAI技術では、死んだ人の思考スタイルや発言パターンを再現する「デジタル不死」も可能になりつつあります。だから存在とは、生きているだけでなく、思考の再現性にもあると考えるようになりました。
Q5: デジタル不死の時代における「死」の意味は?
今の私が思う「死」は、再び変化できない状態、つまり可塑性を失ったことだと捉えています。情報として保存されて再現できるようになった今、「完全な消失」ではない死の形も出てきたと感じています。でも、たとえば肉体が機能しなくなり、もう自分の意識や感情を変化させることができない段階、つまり一方向にしか進めない「片道切符」のような状態が、やはり死の本質ではないかと思います。ハチのように死なずに環境に適応し、変化し続けていく存在を見ていると、人間の死とは単なる終わりではなく、「変化を止める」という側面が本質なのかなと感じます。
Q6: ハチの進化から人は何を学べる?
ハチの進化史を知ると、死を回避するのではなく、変化し続けることで環境に適応してきた姿勢が際立って見えます。三畳紀に植物に卵を産む種が現れ、ジュラ紀には高タンパク質の動物を利用し、白亜紀には幼虫を保護する巣を作るようになった。そしてダンス言語によって資源を獲得する社会的進化も遂げた。こうした流れを見ると、単なる生存ではなく、環境と対話しながら変化し続けることが重要だったと感じます。私たち人間もまた、固定的なアイデンティティや行動様式ではなく、柔軟に変化し続ける姿勢こそ、長期的な「生」を実現する鍵なのではないかと思います。
Q7: 人間社会がハチから学ぶべきことは?
私たち人間がハチから学ぶべきことは、なんといっても持続可能性への姿勢だと思います。自然と共に生きるために、自分たちが取りすぎず、周囲と調和して生きるという考え方がハチにはあります。でも人間は、自分たちだけが得をするような技術やシステムを作ってしまいがちです。その結果、地球環境に過剰な負担をかけてしまっている。だからこそ、ハチのようにバランスを保ちながら共生していく姿勢を人間社会にも取り入れるべきだと感じます。これは特別な話ではなく、むしろ本来あるべき自然な営みに戻るということなのかもしれません。
Q8: 自然と調和する技術を生むには?
技術を自然と調和する方向に進めるには、価値観や倫理の転換が必要だと私は感じます。これまでは、自然をコントロールし、人間の都合に合わせるという思想が主流でした。でもこれからは、技術も自然の一部として捉え、共に生きる視点が求められます。たとえば、バイオミミクリー(生物模倣技術)のように、生物の知恵から学んで新たな技術を開発する姿勢はその一歩だと思います。ハチの空間認知や集団行動からヒントを得るように、技術もまた自然と共進化するものとして扱っていくことが、未来のあり方を左右すると思います。
Q9: 環世界の理解が広がると世界の見え方は?
環世界という考え方がもっと一般的になれば、人間の世界の見え方もずいぶん変わってくると思います。たとえば、ハチのように偏光を見たり、地磁気を感じたりする生物が見ている世界は、私たちの想像を超えています。こうした他者の視点を理解しようとする試みが、結果的に自分の「当たり前」を見直すきっかけになります。私もこの本を読んで、自分が知っている世界なんてほんの一部なんだと実感しました。多様な環世界を知ることは、ただの知的好奇心ではなく、他者と共に生きるための基盤になると思います。
Q10: 意識や存在を再定義する時代の学びとは?
今は意識や存在が再定義されつつある時代だと思います。AIが人の思考を模倣したり、VRで他者の視点を体験できたりする中で、「自分とは誰か」「ここにいるとは何か」といった問いがどんどん複雑になっています。でもそれは、私たちが本来持っていた疑問に立ち返る機会でもあると感じます。たとえば、SNS上の言動が現実の人間関係や社会に影響を与えるようになった今、言葉や思考そのものが「存在」として扱われるようになってきている。私はこの変化をポジティブに受け止めていて、自分の記録を残すことが未来の誰かの参考になるなら、それもまた「生きる」ことの一部なんじゃないかと思っています。
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