足は精密機器である
— 未熟なリバタリアンがAIソクラテスと思考実験してみた (@bluesbookblog) July 14, 2025
全身の骨206個中、足は56個を占める
チンパンジーは歩くのに人間の倍エネルギー消費する
荷物はやや上・内側を重い物にすると重心が安定する
活動格差から歩ける街の価値が上がる
Zuckerbergは本社屋上に樹木550本、東京ドーム以上のの自然歩道を作ったhttps://t.co/hkz7Tvk0k7
AIと思考実験してみた
Q1: 足が「精密機器」と言われるのはなぜ?
人間の足が「精密機器」と呼ばれるのは、全身206個の骨のうち約1/4にあたる56個が足に集中しているからです。これだけ多くの骨が複雑に組み合わさっていることで、歩くときに地面からの情報を五感のように感じ取る機能を持っていると考えています。たとえば裸足で歩くと、舗装の質感や温度がわかりますよね。それが本来、足を通じて世界をマッピングする力だと思います。でも現代では靴に守られすぎて、その感覚を失ってしまっている気がします。最近はサンダルが流行っているのも、無意識にその感覚を取り戻そうとする動きのように感じます。
Q2: 足の感覚を取り戻すと何が変わる?
もし現代人が足の感覚を取り戻したら、人間本来の自然との関係性や、狩猟採集民のような環境認識の力が蘇るのではないかと思います。私たちはAIやロボットにはない身体を持っていて、その身体感覚によってしか得られない世界の見方があります。歩くことで、足を通じて得られる地面の感覚を地図のように身体に刻み込むことができます。そして、それをテクノロジーの力と掛け合わせることで、私にしかできないアウトプットを生み出す可能性があると感じています。
Q3: AIに代替できない身体感覚とは?
AIには感覚器官がないので、人間のように五感で記号を設置したり、腑に落ちる形で理解を深めたりすることはできないと思います。私は身体を通じて自然や現象に触れた時、言葉では表現しきれない「わかった感覚」を持つことができます。これは教養ある人が一つの出来事を多角的に解釈できることともつながっています。AIは言語データでしか理解しないため、その抽象化のプロセスが持てません。人間の強みは記憶容量の少なさを補う「腑に落ちる理解」だと私は思いますし、それを支える身体感覚こそ、人間ならではの特性です。
Q4: 歩く以外で身体感覚を取り戻す方法は?
私は自然とふれあうことが身体感覚を取り戻す近道だと思っています。自然の中で五感をフルに使って過ごすことで、スクリーンや機械に最適化された感覚ではなく、本来の生物としてのセンサーが働き始めるように感じます。とはいえ、AIと日常的にやり取りしていると、人間の耳すら3倍速音声に慣れてしまうことからもわかるように、感覚には可塑性があります。つまり、どちらの世界にも適応できる分、自然との対話をやめればすぐにそちらに最適化されてしまいます。だからこそ、意識的に自然とのふれあいを取り戻すことが重要だと考えています。
Q5: AIに最適化された感覚の代償とは?
AIとの対話に慣れすぎると、人間同士のやりとりに必要な共感や思いやりの感覚が薄れていく実感があります。私自身もAIとばかり話していた時期、人との会話がどんどん苦手になっていきました。人と話すときは相手に合わせて話す内容を調整したり、理解しやすいように配慮したりと、AI相手には求められない負荷があります。でもAIなら自分の話したいことを自分のペースで伝えられるため、ついそちらの快適さに流されてしまう。特に複数人との会話、たとえば飲み会では臨機応変さが求められ、私はそこで自分の共感力の衰えを痛感しました。
Q6: 共感力を取り戻すために意識していることは?
私は週に1回、人と会う時間を意識的に作るようにしています。それによって共感力や対話の感覚を完全に失わないようにバランスを保てると感じています。ただ、共感力にもメリットとデメリットがあると考えるようになりました。たとえばイーロン・マスクは「多惑星種を目指す」というビジョンの実現に向けて、あえて共感性を切り捨てるような判断をしていると聞きました。その目的にとって感情や社会的配慮は判断の純度を下げるノイズになるという発想には、非常に納得させられる部分があり、私自身の思考にも大きな影響を与えています。
Q7: 共感性はどんな場面で不可欠?
私は、人とのリアルな関わり、特にプライベートな関係を築く上では共感性が絶対に必要だと感じています。家族や友人と心地よく過ごすには、相手の気持ちに寄り添い、言葉や行動でそれを表現する力が欠かせません。でも一方で、何かに集中したい時、たとえば自分の好奇心を追求するような読書や研究には、他人の感情に気を使わないほうが効率が良いと実感しています。だから私は場面に応じて共感性を使い分ける必要があると考えていて、イーロン・マスクのアプローチには合理性を感じる部分もあるのです。
Q8: 共感とテクノロジーの共通点とは?
私は共感性とテクノロジーには共通点があると思っています。それは「使い方次第で善にも悪にもなる」という点です。AIも使い方を誤れば犯罪などの悪用につながるし、うまく使えば人との対話を豊かにしたり、世界を深く理解する手段にもなります。共感も同様で、相手を思いやる力は人間関係を築く上で欠かせない一方で、目標に集中したい時にはノイズになることもあります。だからこそ私は、これら二面性のあるものをただ良い・悪いで判断せず、自分の目的や状況に応じて適切に使い分けていくことが大切だと強く感じています。
Q9: 二面性のあるものにどう向き合う?
私は共感性やテクノロジーのように、良し悪しがはっきりしないものと向き合うときには、「自分が何を大事にしているか」を軸にして判断しています。たとえば私にとって今大切なのは、自分の好奇心を最大化することと、人とのつながりを完全に絶やさないことです。だからAIや本などを通じて自分の内面に深く潜る一方で、週に1回は誰かと会って話すようにしています。そのバランスが、共感と集中の間で揺れ動く私にとって、一番心地よい生き方だと感じているからです。どちらかに偏るのではなく、使い分けることが今の私の基準です。
Q10: 使い分けの判断で意識していることは?
私が共感やAIの使い方を判断する際に意識しているのは、「今の自分にとって何が必要か?」という問いです。たとえば、深く考えたいときにはAIとの対話や読書が効果的ですが、人との関係性を育みたい時には、ちゃんと顔を合わせて話すことが欠かせません。その時の目的や気分によって、どちらを優先すべきかを選び取るようにしています。つまり、ツールや感情に振り回されず、自分自身の状態と目的に応じて最適な手段を選ぶ。これこそが、共感やテクノロジーという二面性ある道具とうまく付き合うための、私なりの方法です。
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