本 要約【ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと】伊藤 雄馬 #1492

9文学
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AIと思考実験してみた

Q1: なぜ「嫌なことから遠ざかる」を大事にしたの?

私は何かを選ぶとき、「好きなことに近づく」よりも「嫌なことから遠ざかる」ことを優先する傾向があります。その理由は、嫌なことにエネルギーを奪われずにすむことで、自分の集中力や時間を他の大事なことに振り分けられるからです。たとえば、高校や大学での選択も、自分が得意だと思えるものではなく、「これは無理かもしれない」という分野を避けることで自然と絞られていきました。そうすることで、自分にとって無理のない範囲で新しいことに取り組む余力が生まれます。この考え方は、伊藤雄馬さんの『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』で紹介されている、著者が「寒い地域が苦手だからロシア語ではなくタイ語を選んだ」という話にも重なります。嫌なことを避ける選択は、単なる逃げではなく、自分のリソースを活かす戦略だと思っています。

Q2: 「できないこと」を見極める価値って?

自分にとって何が「できないこと」かを知ることは、意外と重要な判断基準だと感じています。その理由は、「できないこと」を避けることで、自分の力を発揮しやすい環境を整えることができるからです。たとえば私は、積み上げ式で勝負がつく分野よりも、スタートラインが横一線で始まるような領域に魅力を感じます。これは、伊藤雄馬さんの『ムラブリ』での選択にも通じるところがあり、彼は言語学を「他の人と差がつきにくい分野」として選んだと語っています。私は言語学を専攻してはいませんが、その考え方自体に共感を覚えました。何かを始めるときに「得意かどうか」よりも、「苦手を避けられるか」を基準にすることで、無理なく続けられる道が見つかると思います。

Q3: なぜ選択肢が多いと不自由を感じるの?

現代は「選べる自由」が多い時代だと思いますが、だからこそ不自由さも生まれていると感じます。自由に選べる反面、選ばなかった結果に対する後悔や、自分の選択が失敗だった時の自己責任の重さが大きくのしかかってくるからです。たとえば、キャリアや結婚、住む場所など、どんな選択肢を選んでも「別の道の方が良かったのでは」と考えてしまうことがあります。伊藤雄馬さんの著書で語られていたムラブリの人々の生活は、そうした「選ぶ自由」に縛られていないからこそ、今この瞬間をまっすぐに生きているように見えました。私たちは多くの選択肢に囲まれながらも、それが幸福や満足につながっているとは限らない。その矛盾に気づいたとき、選択肢の多さは必ずしも自由ではないと実感しました。

Q4: どんなときに「今を生きている」と感じた?

「今を生きている」と実感できる瞬間は、私の場合、旅をしているときによく訪れます。特に初めての土地で、見たことのない風景を見たり、地元の食べ物を味わったりしていると、五感がフルに働いて、自分が確かに「ここにいる」と感じられます。こうした体験は、スマホやPCを通じて情報を得るのとはまったく違う感覚で、知識というより「身体で覚える実感」に近いです。また、AIとの対話で自分の考えを深掘りしているときも、思考の中に没入できる感覚があり、「今、この瞬間をちゃんと考えている」と感じます。『ムラブリ』に出てくる人々も、自然と共に生活し、テクノロジーに左右されずに生きているからこそ、そうした「今ここ」の感覚を強く持っているのだと思います。

Q5: テクノロジーの何が私たちの時間を奪うの?

私がテクノロジーに不安を感じるのは、それが私たちの「注意」や「時間」を商品化しているからです。SNSや動画アプリなどは、私たちをなるべく長く画面の前に引き止めるように設計されており、気づいたら何時間も経っていたということが頻繁にあります。『ムラブリ』で紹介されるような狩猟採集民の生活では、そうしたデジタルの誘惑がなく、人間関係や自然との関わりに時間が使われています。テクノロジー企業は、私たちの時間を奪って広告収入に変えるという構造を持っているため、なるべくユーザーをスクリーンに縛りつけようとするアルゴリズムを設計しています。このことを理解してから、私は「誰のために時間を使っているのか?」を意識するようになりました。

Q6: 身体感覚を重視する生活とは?

身体感覚を中心にした生活とは、五感を使って自然や他者と直接つながる暮らしだと思います。たとえば、朝に鳥の声で目覚めて、体を動かし、自分の手で食べ物を得て、日が沈んだら眠るというリズムの生活です。『ムラブリ』の中で描かれる人々の暮らしはまさにそれで、便利さや効率よりも「今を生きること」に重きが置かれているように感じました。現代人は便利な暮らしと引き換えに、自分の感覚や感情と離れてしまっている部分があるのではと思います。もし私が理想の一日を過ごすなら、自然の中で過ごし、手で何かを作り、人と直接話す時間を大事にしたい。そのほうが自分の「生きている実感」が得られる気がするからです。

Q7: 言葉は「音ゲー」に似てるって本当?

言葉のやりとりを「音ゲー」に例える考え方には、とても納得感があります。つまり、タイミングよく、必要な内容を、適切な形で発するという点で、音楽ゲームのように感覚的な側面があるということです。これは伊藤雄馬さんが『ムラブリ』の中で述べていた、言語が「リズム」として機能するという観点にも通じる話です。ポール・グライスの「協調の原理」でも、量・質・関係・様態という4つのルールが言語にはあるとされ、それらを守ることでコミュニケーションがうまくいくとされます。私自身も、誰かと話すときに「今この言葉を言うべきか」を感覚的に判断しているとき、まさに音ゲーのような緊張感を覚えることがあります。言葉は単なる情報のやりとりではなく、感覚を伴った行為なんだと感じます。

Q8: ムラブリの生活から見える価値観とは?

『ムラブリ』を読んで最も印象に残ったのは、「文字も暦もなくても、人は豊かに暮らせる」という事実です。私たちは、情報を管理し記録するための道具がないと生活できないと思いがちですが、ムラブリの人々は言葉だけで文化を継承し、暮らしを成り立たせています。そして、彼らの生活にはストレスや競争が少なく、むしろ人間関係の密度や時間の感覚が豊かであるように感じました。私自身、日常の中で「情報が多すぎる」と感じる場面が多々あり、そのたびに「本当に必要なものは何か?」を考えさせられます。ムラブリのような生活は極端かもしれませんが、現代の暮らしに少しでも取り入れることで、もっと心が自由になるのではと感じました。

Q9: 「言葉が生きた」と感じた経験は?

私が「言葉が生きていた」と感じたのは、自分の考えや気持ちをうまく言葉にして、それが相手に伝わったと実感できたときです。たとえば、友人と深い話をしていて、ふとした一言に相手がハッとしたような顔をしたとき、「この言葉を選んでよかった」と思えました。伊藤雄馬さんの『ムラブリ』にも、現地の人々とのやりとりを通じて言葉の重みを体感したエピソードがいくつか登場します。それらを読んで、「言葉は生き物だ」と感じた自分の経験と重なりました。言葉はただの道具ではなく、人との関係を築く感覚的な橋のようなものだと思います。

Q10: 現代人に足りないものは何?

現代人に足りないものは、「今この瞬間を生きる感覚」だと私は思います。便利な道具やサービスに囲まれている分、私たちは常に次のことを考えたり、他人の生活と比べたりして、今ここにある時間や人間関係を軽視しがちです。『ムラブリ』に描かれる人々は、限られた資源と環境の中で、自然や人との関係をとても大切にしています。それは、私たちが置き去りにしてきた価値観を改めて思い出させてくれます。私自身も、ついスマホに時間を奪われてしまうことがありますが、だからこそ、食事や会話、自然に触れる時間を意識的に確保するようにしています。そういった小さな選択の積み重ねが、自分の暮らしを少しずつ取り戻す鍵になると思っています。

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